先日、「練習とは何か」について考えてみましたが、今日は
「練習、あるいは勉強の目的」について考えてみたいと思います。
あくまで私論ですが、
ズバリ、結論
勉強、練習の目的とは
「未来の自分を作ること」。
言い換えると
「○○な自分になること。」
ではないでしょうか。
ポイントは、する(do)ことではなく、なる(be)こと。
何かを為す(do)のは一過性の事に思えます、それよりも何かを為すことのできる状態にある(be)ことを目指したいと思います。
生徒に「なぜ勉強するの?」と問えば
「良い大学に入って、安定した暮らしを手に入れるため」
という答えが返ってきたりします。
・・・果たして本当にそんなことが目的になり得るかなぁ?
と子供相手に時に真面目に反論したりします。
まず勉強すれば良い大学に入れるかどうかはわかりません。
次に良い大学に入れば良い就職口が見つかるかどうかはわかりません。
そして、良い就職口があれば暮らしが安定するかどうか、やっぱり誰にもわかりません。
そもそも、安定した暮らしが目指すべき良いものなのかどうかもわかりません。
このような時は
「そうではなくて、自分自身が勉強できる自分を作る、つまり成長する、ということが勉強や練習の目的なんじゃないかな。
良い大学や良い暮らしはその結果得られるものに過ぎないし、求めるほど価値のあるものではないかもしれないよ。」
ということを教えます。
そう、価値は(得られるものに、ではなく)自分にある、ということに気づいて欲しいのです。
この話をしてから、今まで暗い面持ちで将来に不安を抱いているように見えていた頭でっかちな生徒も幾分無邪気さを取り戻し、明るく、前向きになってきたように見えました。
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