コレは読むべき!

私もよく使ってしまいます。

「(私は、あなたは、彼は、彼女は)○○するべき。」っていう言葉。
この言葉には「なぜなら誰しも○○することが当然だから。」という前提があります。
最近になってようやくわかった事ですが、
実はそう思っているのは”自分だけ”
かもしれないそうです。
TVでもお馴染みの心屋仁之助先生による例えが極端ながら非常にわかり易いのですが、
例えば、何にでも醤油をかけないと怒られる家で育った子がいたとして、
その子は味がわからない。
甘さも苦さも全て醤油のせいで台無し、塩辛さしか知らない。
そのうち、醤油をかけない、そのままの美味しさもわからなくなってしまう。
そして、ケーキに醤油をかけない人間に対して
「ケーキに醤油はかけるべきなのに。」といってしまう。
「現実」に醤油という「自分だけの価値観」を混ぜることで
醤油味のケーキ=「自分だけの現実」を作ってしまう。
そして、同じくケーキに醤油をかける人間を見て安心し、醤油をかけない人間を嫌いになってしまい、結局自分の付き合いを制限してしまう。
・・・おかしな事ですよね。(^_^;)
世の中には様々な価値観が確実に存在します。
海鮮丼には醤油をかけたほうが旨いかもしれないし、
ケーキにはたぶん醤油はかけない方がいい。
醤油をかけたほうがいいこともあるし、そうでないこともある。
かけてもいいし、かけなくてもいい。
その上で自分で選べばいい。
例えば、何かにイラっとした時に「これは自分が醤油をかけてるだけ?」
と思えば、きちんと現実を見て冷静に対処できるような気がします。
ケーキに醤油をかけているのは実は自分だけなんですね。
そして、ケーキに醤油をかける仲間を探して、(多分無理やり)同調してもらうとなんとなく嬉しい気はするけど、最終的には無益なんでしょうね。

ギタリストとはこうあるべき
音楽家とはこうあるべき
大人とはこうあるべき
若者とはこうあるべき
子供とはこうあるべき
人間とはこうあるべき

いっぺん全ての「べき」を取り払ってみたら、今まで見えなかったことが見えてくるのかもしれません。

詳しくは
読んでみてください。
いい本です。

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